あと何回、桜や新緑、紅葉、雪景色をみることができるのか

人は意識しなければ無限に生きられると思っている。最近そう思うことが多くなってきました。時間というものを意識し出したので人は無限に生きられないということを自分の中ではっきりと認識することが多くなってきました。

この認識により変わったことがあります。それは何でも全力でやるということです。今までは全力でやっていないというよりも認識不足からまた次があるからいいやという行動が多かったように感じるのです。

これは仕事やプライベートともにそうですが全力でやっているつもりだったのです。ほんの少し意識が変わるだけで自分の気持ちも大きく変わると感じています。

全力でやるのとやらないのとでは何が違うのか?これはもう気持ちの問題というほかないのですが全力でやったときは爽快感とまでいかないけどあとに引きずらない感覚があります。人事を尽くすといえば大げさですがやるだけやったんだからあとはなるようになるしかないと気持ちの区切りができるように思われます。

あと何回四季をめぐることができるのかわかりませんが、できるかぎり何でも全力でやってみたいという気持ちを心にともしています。

コメント

  1. プライア より:

    その点に関して私は昔から全力を信条に生きて来たけど、むやみにやり過ぎると疲れるから、対象を絞って全力でがいいと心から思います。分かってると思うけど。

    あと一応ツッコミを。昔の漫画にありがちな、病室の窓から散りゆく葉を眺める少女か!

  2. あけび より:

    毎年桜を見られるのが当たり前だと思ってましたが、四十路を目前に控えて人生の折り返し地点に差し掛かってきて有限性を痛感するようになりました。
    でも何をやったら後悔しないのか考えてもよく分からないですね。
    とにかくその時、その瞬間にやりたいことをやるしかないです。

    • あけびさん
      私の場合だとやりたいことってあんまりないのかもしれないと感じることがあります。
      今の連続が未来にあるのでやっぱり自分の好きなように生きていきたいなと思います。

  3. たんちん より:

    この心境なったのは50歳過ぎてからです、ちょっと寂しいけど、それにより当たり前な事をありがとく感じておりますz

  4. スーパーボウルやダービーなどのイベントも今年見るのが最後かも、と思って見るようにしてます。
    来年もあるからいいやと思ってるとそうじゃない可能性もあるので。

    • 招き猫の右手さん
      何でもそうだけど、ほんとうそう思うことって案外難しいかなと思う。
      いつまでも自分の時間は続くと漠然と思うことが常になってるからね。