自分を知る

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ほとんどの人は周りとの比較で自分のことを認識しているのではないでしょうか。つまり自分で自分のことをどういう人物かをわかっている人は少ない感じがします。職場の同僚、友人、知人、家族など自分の周りにはたくさんの人間がいるけど何かを言われるたびに自分はこういう人間なんだと認識するヒントやきっかけになっていることが多いと考えています。

自分で自分はこういう人間ですという事柄はたいていちょっとずれているような気がします。そうちょっとずれている、これがポイントなんですよね。まったく的外れではないけどちょっとずれているからその誤差を自分で認識できないのでしっくりこない時がちょこちょこと顔を出すんだろうと思います。

自分は他人に影響を受けないという人間ほど他人からの影響を受けやすく、他人を気にしすぎる傾向にあるように感じます。これがたぶん無意識に行われているから認識できないのでピシッと気持ちと頭で考えていることが合致しないのだろう。

自分で自分のことがよくわからない、過去にこう考えたことがある人はかなりいるような気がします。自分の認識と他人からの認識がずれていることは当たり前なのかもしれませんがそのずれによって生きにくい環境になっている場合もあると思います。

結果的に自分のやりたいことだけやりたいようにやるという人間が一番充実した人生を歩んでいると感じます。

コメント

  1. たんちん より:

    後輩に自分はどんな風な人間に見えるか聞いたけど、愚問でした。そんなん正直に答えられるはずがないもんねえ、特にマイナス部分はz

  2. あけび より:

    自分がどういう人間か理解するのは難しいですね。
    他人の前ではどうしても良い格好をしようとしますし、本当の自分は隠しておかないといけないものだと思ってしまいます。
    そうしているといつの間にか自分を見失ったりするので気をつけたいですね。

    • あけびさん
      自分を隠しているのが本当の自分だと錯覚するのがいちばん怖い気がします。
      サラリーマンとかはその典型なのかなあと。

  3. プライア より:

    まさに私は人目を気にするし影響を受けやすいから価値観が相反する人とは表面でしか付き合えんかったよ。でも今は他人の価値観がええ感じで気にならなくなりつつあるし、逆にそれがその人を受け入れるってことなんかなって思ったりもする。

    「自分のやりたいこと」の中には他人に貢献することもあるから必ずしも利己的ちゃうしね。だからアドラーは他者貢献こそが幸福であると言ってます。ニワカよりz

    • プライアさん
      価値観が違うのは当たり前という前提で私は日々誰とでも接していますが、一時価値観の違う人や自分の価値観に合っていない物、サービスを率先的に接してみたけどストレスたまりまくりやった。
      少しの価値観のずれを受け入れるのはありだと思うけど限度を超えると悪い影響しか出ないのかなあと思う。

      他者貢献が幸福であるというのは、もっともな意見だよね。

      現実的にいうなら他者貢献できている自分を自分が認識できることがいいけど、それだとちょっと傲慢になっちゃうのかなあ? いろいろと難しいわz