自分の身に降りかかった不幸だけを感じればいい

日常

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世の中には不幸と呼べるものはいっぱいあります

世の中には自然の不幸(地震・津波・水害・竜巻など)と人為的な不幸(戦争・事故など)があります。もっと些細なものを入れれば不幸と呼ばれる事柄はいくらでもでてくるでしょう。そんな無数にある不幸を常に感じていれば精神が崩壊してしまうと感じます。



どこまでの不幸を感じるべきか?

「感じるべきか?」というのはちょっとおかしな問いかけになってしまいましたがニュースをみて「大変そうだな」「かわいそうだな」と毎日感じていては疲れてしまうだけだと思います。あとたいしてつながりがない人(ほんの数年一緒に仕事をしたなど)のことを気にしすぎる人も精神が疲弊するんじゃないかといつも考えしまいます。

自分の身に降りかかった不幸だけを感じればいい

私は「自分の身に降りかかった不幸だけを感じればいい」と考えています。たしかに自然災害や人為的な不幸に見舞われた人は大変そう、かわいそうだなと思うのですがそれらをいくらそう思ってもどうにもならんと思うのです。

もちろん私もそういう感情がないわけではないですが、だからどう何?という理性の方が強いんですよね。ちょっとした知り合いが何かしらの不幸に見舞われたとしてそれを少しでも緩和してあげたいという気持ちは自然なものだと思います。

しかし全く見ず知らずの人や遠い地域のことで起こったことは知っていても何も感じないでしょう。

若い時はそういうことに感化されたこともあったのですが今ではほとんどそういう感情はなくなってしまいました。

身の回りだけでいい

他の人の境遇に感化されて感傷的な気持ちになるのは人間の心理として当たり前なのかもしれません。それでもそれが膨大な数になると自分の精神が大変なことになるのでそういうのは自分に降りかかったときか身の回りだけでいいと考えます。

本日はブログを読んでいただき、ありがとうございました。

 

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