中山七里さん原作のドクターデスの遺産を読了しました。要約すると余命いくばくもない痛みを伴っている人を安楽死させる黒い医者と警察のやりとりです。
日本では2020年11月現在では安楽死に加担した者は犯罪者となるようです。これは安楽死についての法整備が整っていないからですね。
安楽死については過去にも記事を書いているので良かったら読んでみてください。
本文中にもありますが賛否両論の声が現実にもあります。
安楽死は患者の苦痛を取り除き看病する者の心労・肉体的疲労を取り除きます。結果だけをみれば誰も不幸にはなっていないのでもし現実に小説のようなドクターデスが存在すれば感謝されることにもなるかもしれません。
介護もしくは病気療養からの殺人に至るケースは後を絶ちませんね。おそらくですが今後はもっと増加していくのではないでしょうか。

内閣府の資料によると要介護認定者数は年々増加しています。少子高齢化の日本では今後数十年はもっともっと増加していくでしょう。この流れは避けられないと考えています。
人間老いていけば体の不調が出るのは当たり前ですが問題なのは介護をする側の人間が圧倒的に少ないことですね。
昔は子供や兄弟といった家族で支え合えることができていました。その理由として介護する、病気の看病をするという期間が現在と違って短かったからではないでしょうか。
人生100年時代では例えば70歳から介護が始まり90歳までの20年あるとすればもう気が遠くなる時間だと思うんですよね。仮に子供が面倒をみるということでも、親が70歳の時に子供は50歳前後ぐらいでしょうか。
そうすると子供は自分が70歳になったときに解放されることになります。
50~70歳の20年という時間を捧げる価値がありますか?
自分の親の介護だからする必要がありますか?
もちろんまったく何もしないという人は少ないと思いますが、本格的に介護や病気の看病をする状態になると自分のほとんどの時間を使うことになります。
自分の時間を使うということは、働く時間が減るということなのでお金を稼ぐこともできなくなり経済的に困窮する家庭も出てくるでしょう。
表面的なことしかわかりませんがニュースに出てくる介護・病気に伴う殺人というのは経済的困窮も大きく影響していると思います。
介護や病気はお金で解決できにくい問題のひとつですが、お金があることで経済面を心配しなくてもいいのでダブルパンチにはならないので幾ばくか精神状態の負荷を軽減することができます。
考えてもみてください、介護や病気をするといっても介護する側は生活していかなければなりません。介護される側や病気の患者も生活していかなければなりませんから、これら全員の生活を維持できる経済的余裕がなければ精神も肉体も疲弊してしまうのは必至となります。
安楽死を考えるときに出てくるのが「死ぬ権利」というものです。最近では何でもかんでも権利とさけぶ世の中になってきたと感じますが、死ぬ権利が認められていないのが日本ですね。
死ぬ権利が認められて安楽死が法制化されれば救われる人は数多くいるのではなかと想像します。国には生活保護と呼ばれるセーフティーネットがありますが介護や病気の看病はそういったもので解決できるものではないんですよね。
小説 ドクターデスの遺産では苦しんでいる人を延命するのは周りの人間のエゴであり拷問であるという主張も見受けられます。
あなたは安楽死を望みますか?
苦痛に耐えられず治る見込みのない家族から安楽死したいと言われたらどうしますか?
こういった問題はいつ自分に降りかかってくるかわかりませんから、時間があるときに考えておいた方がいいと思います。
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