私は正社員の最後は約50人ぐらいをまとめるポジションに就いていました。10年間そのポジションにいたのですが最初の頃は合理性や効率的なことばかり考えていました。しかしそれらを追求するとうまくいかないことが多々出てくることを感じたんですよね。
そこから少し遊びの要素を取り入れるようにしてみたらすごく仕事がうまく回転しだした感覚があります。これは仕事もそうなんだけど人生でも同様だと考えています。
合理性や効率を追求することの危うさ
仕事や人生においてある程度合理性や効率を求めることは悪い事ではありません。そうしなければ無駄ばかりになりますからね。ただひたすら追求してしまうと逆にもろくなってうまくいかない事が多くなると考えています。
例えば合理性や効率を仕事で求めていくと同じような仕事内容の場合は同じような結論に達することが多くなるのは想像に難くありませんよね。出来る出来ないはここでは置いておくとして「同じ結論」になるというのがあまりよろしくないと思うのです。
仕事の現場ごとで合理性や効率を求めることは問題ありませんがもう少し枠組みを大きくして会社がそこを追求していけばどうなるでしょうか?
同じ結論になるということは他社も同じようなビジネス内容を展開してくることになります。そうすると一時的に抜きんでても結局は差別化出来ないので同列になってしまいます。つまり優位性が一時的なものとなってしまい競争から抜け出せなくなってしまうんですよね。
その結果が業績は伸びにくくなる、給料も上がりにくくなる(ここはダイレクトに反映するかわかりませんけどね)ということになります。
簡単に言うと単純に合理性や効率を追求するだけでは誰にでもマネできるものしかできないということなんです。
ここに危うさがあると思うんですよね。
遊びを入れることで危うさを補いさらなる成長へ
合理性や効率を追求することは北斗の拳という漫画で言う北斗宗家の拳なのかもしれません。すべてを合理的にしてしまったが故にその対処もすべて公開されてしまい役に立たなくなってしまった。そして変化に対応することが求められ生まれたのが北斗神拳でした。
話はそれましたが緩さというか良い意味でのイレギュラーがないと変化に対応しづらく、答えが明確になり過ぎるんですよね。その結果として優位性が失われてしまいます。
それではどういう「遊び」を入れていけばいいんでしょうか?
遊びと言っても全く無駄なものを入れてもしょうがないですよね。漠然としていますが一時は躓いたり停滞したりすることもあるけど将来的には全体的に成長していけるものが良いんじゃないかと考えています。
例えば仕事だったらある程度の最適解が出ている場合はそれが合理的なのでそのまま進めていても問題ないですが敢えて不合理なことをしてみるというのもいいかもしれません。不合理なことをするので効率は落ちますがそこから新たに成長の種を発見できるかもしれないということです。
会社の飲み会と言われると今では嫌がられることも多いですが、そこが心地よい飲み会の場所だったらどうですか?
心地よいんだから参加したいですよね。でもこの飲み会というのは仕事をする上で必要不可欠なものではありません。そうつまりこういうのが「遊び」の一例になります。飲み会は社外でのことになりますが社内で、実際の業務の中でも「遊び」を入れることでハッと気づくことが浮かぶことがあるかもしれません。
従業員の不平不満を聞いて解消に動くということも「遊び」の一環になるでしょう。どの会社においても不平不満や何かしらの意見があったら言ってください的なことのアナウンスはあると思いますが、その主張を取りあえげて対策を実行することはほとんどないのではないでしょうか。
何故ならそこに合理性をあまり感じることが出来ないからです。その一人や少数の主張にいくら合理性があっても会社全体で考えると合理的ではないと会社の上層部が考えてしまうことは多いでしょう。
合理的でないというのは不平不満が改善されるととても良いことなんだけどそれに費やす労力や時間やお金がかかり過ぎるのでどうしても不合理だという判断にたどり着くと思うんですよね。
つまりこれが一時的な停滞になるわけです。
しかしここでよく考えて欲しいのは「一時的」ということなんです。その後は現在よりも成長して変化にも強い会社になっているでしょう。
だからちょっとしたノイズというか「遊び」を入れることは結果的に良いことになると思います。
人生における「遊び」とは
ここまでは仕事ベースで考えてきましたが人生における「遊び」とはなんでしょうかね。
それはありきたりですが「自分がやってみたいこと」になるんじゃないかと思います。やってみたいことはたくさんあっても継続できるかはその時はわかりません。そして継続できてさらにもっと興味がわくことはすごく少ないとも思います。
そう考えた時に自分がやってみたいことのほとんどは無駄なことも多いですが、得てしてその結果より良い環境に身を置くことができるのではないかと考えています。
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