ウィキペディアでによると普通とは「広く通用する状態のこと」とあります。たしかにそうだなと思います。
さてここでひとつ例題を出してみますね。
目玉焼きにかけるのは醤油が普通でしょうか、ソースが普通でしょうか、はたまた塩が普通でしょうか?
ちなみに私はドレッシングをかけるのが普通です。
こんなのは好みでしょと思う方もいるでしょう。
それでは寄付やチップはどうでしょうか?
日本では寄付やチップの文化がありませんのでそういったことをするのは普通ではないですよね。普通とは広く通用する状態のことですから日本国内でチップを渡したりすると普通ではないということになってしまいます。
しかし海外ではそういった文化圏で生活している人は至って普通のことになると思います。
何が言いたいかというと普通とは広く通用する状態のことではあるがそれが人それぞれに違う、環境によってはまったく普通ではなくなってしまうということなんですよね。
この普通という見解が人によって違うことにより、争いのたねやちょっとしたトラブルのもとになることが多いと感じます。
以前アルバイト先で商品を載せる平たいアルミの板を洗っておいてと言われたことがあるのですがどうやって洗ったらいいかと言われた時に「普通に洗って」と言われたので洗ったものをテーブルの上に置いてからタオルで拭こうとしたんですね。
そうするとテーブルに置かずに立てかけて水を切るのが普通だと言われました。立てかけるというのは水を切るのには合理的ですが洗ったものが地べたにつく状態になります。
私は洗ったものは綺麗な所に置くのが普通だと思っていたのですがそこでは洗ったものを地べたにつけて置くのが普通だったんですね。
こういうのはほんと些細なことなので、そうなんですねといって合わせればいいだけなのですが根本的に普通が人それぞれ違うことによって誤解が多発することに疲れてしまうことがあります。
だから私は誰かに何かを頼むときには普通という言葉は使わずに自分がやって欲しいことを説明するようにしています。
もし誰かに普通でお願いしますと言って頼んだ時には、相手の普通になるという認識が必要なのではないでしょうか?
コメント
面白いテーマのお話ですね。
私は、目玉焼きには醤油派、お好み焼きと一緒に白ご飯派、です。
後者は理解されない場合もありますが、私には合うんですよね。
人の数だけ常識(その人が考える”普通”)があることは当然と頭で
理解していても「ほら、こっちの方が絶対美味しいから食べてみ?」
と僕の普通を押し売りすることがあります。。。反省(^^;)
RMCRさん
私もお好み焼きと一緒に白ご飯派です。
押し売りというか自分良いと思うものをすすめるのはいいんですけど、それが受け入れられない、自分の普通をやってもらえないと感じるのは違うと思うんですよね。
もし自分の普通をやってもらいたいなら、きちんと説明するべきだと考えています。