「生」つまり生きることについて深く真剣に考えたことはあるでしょうか?おそらくほとんどの方はないんじゃないかと思います。
今ある日常が永遠に続くとは思っていないにしても直近の明日は必ず来るものという漠然とした認識が無意識にあるでしょう。またそういう無意識がないと気が狂ってしまうか感受性が麻痺してしまうのかもしれません。
誰かにあなたは生きていたいですか?という質問をすれば日本に住んでいる人はほとんどの人が「生きたい」と回答することが容易に推測できます。この「生きたい」というのを欲望・願望だとすれば私はそれがほとんどないのです。
何度かブログにも書いてきましたが私は生来人がもっているこういう感情がとても希薄です。だからと言って死にたいわけでもありません。こういうことって一般的には考えないのかもしれませんが私は生きている意味はあるのかなとふとしたおりに頭によぎることがあり妻にそういったことを話すと生きる意味なんて考えなくいいんだよ、考えるからつらくなるんだよと言われています。
たぶん、そうなんだろうと思います。それでも「生きる」ということが一旦無意識から意識できてしまうとなかなかそいうわけにはいかないと思うのです。ただこういう状態にあっても「苦しい」「つらい」等の感情もわいてこないんですよね。感情的に乏しいというのもあるかもしれません。
「生」について私が何故このような考えに至ったのかを自分で分析してみると「毎日自分でできる限りのことをしているので後悔がないという認識がある」「世の中にはどうしようもないことがたくさんある」「自分でコントロールできない事柄多い」「一秒先は何が起こるかわからない」「人間の生命はそれほど長くないと感じる」等があげられるのですがこれらのことをすべて受け入れようと考えてから「生」についてとても希薄になったのかなと思いました。
これから「どんなことをしても生きていたい」というような感情が起こることがあるかもしれませんが「足るを知る」という私の根本的な考えからすればそういうことは起こりにくと思ってしまいます。
生きているという意味は必要ないのかもしれませんが「生きている喜び」をできるだけ多く感じれるようにしていきたいです。
コメント
SECRET: 0
PASS:
悟りの世界観に近いですね。
生きることには2つの観点、「動物的生存」と人としての「知的生存」です。
欲に生きることは動物的生存であり、欲を制することは知的生存であると思います。
生の中に死を受けいることや物事の真理を知ることは難しいことです。
それを自然に理解するとは天才かもしれません。w
今を生きているのはとても普通のことではあるのだけど、それを深く理解すると今を生きているのが不思議なくらいの出来事なのです。これを理解できる人は少ないでしょう。
足るるを知り、生きていることに感謝しつつ毎日を暮らせることは素晴らしいことです。
PS 「生きること」についての私論なら酒を飲みながらいくらでも語れますよ。www
SECRET: 0
PASS:
うーん、難しいこと考えているんですね。
私も生に対する執着はそれほどありませんが、生きていて楽しいから長く生きていたいと漠然と感じています。
SECRET: 0
PASS:
こんばんは。ふわわたと申します。
僕は欲の塊のような人間だと自覚していますので
「足るを知る」という言葉が胸に刺さります。
僕自身、死ぬまでそれなりに楽しいことがあればいいなあと
思っている適当な人間ですが、クロスパールさんの仰る
「生きている喜び」を感じられる人生を過ごせるなら
とても素敵なことだと思います。
SECRET: 0
PASS:
私はとりあえずしばらくは生きていたいです。
生まれた時点で全ての生き物が死に向かっているのですが、後悔しないようにあれもこれもやればいいのではと思っています。
SECRET: 0
PASS:
死ぬ時に苦痛が伴わなければ別にいつ死んでもいいです。
それを乗り越えてまで積極的に死にたいとは思いませんけどね。
恐怖心に生かされてます。
SECRET: 0
PASS:
以前何かの件で、「彼女ができて結婚したら考え方が変わります」とコメントした記憶がありますが、
今回の件では「子供ができたら変わります」とコメントしときましょう(^◇^;)。
子供ができたらその子供のために生きたいと願うようになると思います。
自分が生きている意味、、、高校や大学時代はよく考えたような気がします。
今は経済的な面で考えたりします。消費する大衆の一員として、とか。
SECRET: 0
PASS:
やりたいことをしている時間や愛してる時間を有限の命の中で密度を高く持ちたいです。クロスパールさんは、よくお考えですねえ
SECRET: 0
PASS:
今、生きているので、なんとなく生きている感じです
願望も執着もないし、生きる意味も特に考えないです
生きている間を充実させたいとも思わなくなりました
クロスパールさんの心境に少し近いでしょうか
SECRET: 0
PASS:
フーテンどんぐりさん、こんにちは。
>生きることには2つの観点、「動物的生存」と人としての「知的生存」です。
こういうのは初めて知りました。言われてみればそうだな~と思いますね。
いつかお会いできたらいいですね^^
SECRET: 0
PASS:
prireさん、こんにちは。
やっぱ難しく考え過ぎなんでしょうか?><
もうちょっとシンプルに生きてみたいとは思っています。
SECRET: 0
PASS:
ふわわたさん、こんにちは。
私も欲がないわけではないですが多分すごく薄いんだと思います。何かをすごく欲することってほとんどないような気がしますね。生きている喜びって心の底から感じることができたらいいな。
SECRET: 0
PASS:
招き猫の右手さん、こんにちは。
あれもこれも・・・私もやりたいです!^^ そこまで吹っ切ることができればいいなあ。
SECRET: 0
PASS:
yamyasさん、こんにちは。
そうですね~、私も苦痛は嫌ですね。もっとも生きて何かをしたいという衝動も薄くなっているのが現状です。
SECRET: 0
PASS:
塩蔵さん、こんにちは。
子供ができたら結婚したときよりもかなり考えは変わる気はします。経済的な面で・・・うんうん、それはよく考えます^^
SECRET: 0
PASS:
たんちんさん、こんにちは。
「密度を高く」イメージでいえばもっとも適している言葉だと思いました。どうやったら上がるんだろうなあ?
SECRET: 0
PASS:
消費しないピノキオさん、こんにちは。
無の境地に入りつつあるのか? それとも諦め?なのかわかりませんがもっと自然体で楽に生きれるようになれればいいなと思います。
SECRET: 0
PASS:
クロスパールさんの記事とても考えさせられる部分があって面白いですね!
生きることの意味って
私は余り深く考えたことなかったです。
死ぬのは、少し先の事だし、今を生きるだけで結構精一杯だったからかなとも思います。考えるのは答えがでないなら、今は出さずに、死ぬ手前でいいかなと思ったりしていました。意味があるかないかわからないことを考えるより今確かに在るものについて、感じて考えたい。とも思っていました。
ですが、クロスパールさんや皆さんのコメントを見て、何かを感じました。
私が今何か感じたということは、昔の私の気持ちよりも変化してきているということですね。
その何か、表現したいと始めて思いました。もう30台半ばということですかね。
いつかの機会に自分のブログで書こうと思います。
良いきっかけを頂けたと思います。ありがとうございます。
SECRET: 0
PASS:
ジョニーさん、こんにちは。
>死ぬのは、少し先の事
この「少し」っていうのが私はすごく他の人よりも短く感じているのかもしれません。明日とか○分後とか。
>今確かに在るものについて、感じて考えたい。とも思っていました。
これは私も思っています。現在在るものの積み重ねが未来になりますので。「主義」のカテゴリで書いている唯物論と通ずるとろこがあるかもしれません。
いつの日かジョニーさんの記事楽しみにしています。
SECRET: 0
PASS: 0adbed60fe27eff2c4451e834462398e
お久しぶりです。正吉です。
深く考える内容の記事だったので、コメントせずにはいられなくなりました。
クロスパールさんの自己分析を読んで、とても腑に落ちました。
毎日を後悔なく生きて、良いことも悪いことも受け入れる気持ちがあれば、「生」に固執することなく、「死」を恐れずに、安らかに生きていける。
(なるほどなぁ)と思いました。
余裕のある生き方をするようになって、僕もクロスパールさんに近い気持ちを持つようになった気がします。
こんな記事↓を書いたことがありました。もしよろしければ。
「死ぬこと」を怖いと思わなくなってきた http://www.iwannabefree.info/unafraid
SECRET: 0
PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
正吉さん
「生」と「死」どちらをクローズアップするかのですが私は「死」の方をクローズアップしやすいのかなあと感じます。
言葉で言えば「ただ生きて死ぬ」ということになるのですが実際は自分でもどうなるのかわかりません。
でも今は素直に生きていると感じています。