「他人(血縁者以外)を信頼することができた」
結婚して1年と少し経過していますが「他人(血縁者以外)を信頼することができた」ことは私の中ではとても大きくインパクトのあることでした。私の憶測ですが知人・友人・親友・同僚といった具合で呼ばれる人たちの中に信頼できる人なんているんでしょうか?
またそう考えている人なんているんでしょうか?これは私の偏った推測かもしれませんが上記のカテゴリに分類される人、血縁者以外で信頼できる人間なんてほぼ皆無だといっていいでしょう。
なんでそんな寂しいことをいうの? 親友は信頼できる一生の財産よ! なんて声も聞こえてきそうですがそれは上辺だけではないですか?と私は問いたいです。
こちら側から質問させてもらえるならば「あなたが信頼している他人はあなたの人生を共に歩んでくれますか?」と。
日常の食事や遊びの約束、職務における信頼性などはもちろんあるでしょう。なければ社会不適合者ですよね。でも「人生」ということまで落とし込んでいくと信頼できる人間は限りなく減少してしまうでしょう。「日常における信頼」はとても大切なことだとは思いますが「結婚」というものを考えると日常レベルの信頼ではうまくいかないと思います。
さて、ここまで否定的なことを書いてきましたが今回の記事は「結婚して良かったこと」なので現在の心境も書いておきたいと思います。
お互いに信頼感があることで絶対的な精神的安定が得られます。何か不安なことがあっても深く深く相談することができたりアドバイスであっても素直に受け入れることができます。また精神的安定、安心感があることによって何かの物事を進めるときも余裕を持った行動ができるようになりました。
私にとって信頼できる人間が共に人生を歩んでくれることは何よりも心強いことです。
コメント
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相手が倒れたら自分も倒れるという関係なので、
互いに相手のために尽くす事ができ、それが信頼になるのでしょう。
私は若い頃起業しましたが、その時の同志とは深くつながっており、心底信頼できる関係でした。
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prireさん、こんにちは。
最も身近で共に人生を歩むことを考えれば信頼できることは必然かもしれませんね。コメントの「・・・・関係でした」って過去形が気になりました。
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クロスパールさんとは考えが近いきがします。
自分は未婚なので、信頼できる他人はいないのですが。
他人を信頼しないことが結果的に経済的安定や仕事上のスキルアップやキャリアアップになるのでそっちの方が生活していく上では実務的なんですよね。
相手に何か特別なものを感じて信じるか、信じないかという二択を迫られても自分は信じない方を選びそうです。
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yamyasさん、こんにちは。
私も基本的には他人を信頼しない方が楽な生き方だと思いますよ。それでも信頼できる人間が身近にいることは生きていくうえで想像以上に心強いですよ。
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クロスパールさん、はじめまして。
ゆうゆーさんのブログから来ました。
ブログタイトルを見て非常に似ているなあと思いまして、まずコメントと思いまして。
まだ記事を読んでいませんので、これからゆっくり読ませていただきます。
Twitterフォローさせていただきました。
私もブログ始めたばかりです。
よろしくお願いいたします。
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変なところにコメントしてしまいました。
すみません。
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しゃあない商事さん、こんにちは。
こちらもフォローさせてもらいました。
今後ともよろしくお願い致します。