自分に正直に生きる、素直に生きる、これほど簡単そうで難しいことはないんじゃないだろうか。これは私が子供のころからずっと感じてきたことです。特に日本では本音と建前という文化が浸透していますからなんだかおぼろげな景色を見てきた気がしています。
正直に素直に生きるというのが難しいのはそうしてしまうとどうしても他者との軋轢やコミュケーションがうまく取れなくなり生活することに支障が出てしまうからだと思います。働いているとそういったことを強く感じていました。
セミリタイアしてからもそういう傾向はありましたがFI(Financial Independence:経済的自立)してからは自分に正直に素直に生きることができるようになったと感じます。
今回はこんな感じのお話しをしてみたいと思います。
やっぱり相手のことが気になるよね
自分に正直に生きることを難しくしてるのはやっぱり良好な人間関係を維持したいということがあるからでしょう。相手を困らせたりしたいわけじゃないけど自分の感情と違うことをし続けるのはかなりストレスになるのでそれなら妥協できるところで合わせておこうとするのが普通だと思います。
例にもれず私もこのような感じで社会生活をしてきました。ただこれはこれで妥協点を見つけ出すという作業を習慣化できて穏便に生活できるので悪くはないですが、ずっと続くともやがかかった状態になりやすいですかね。
最近の若者は空気を読まないと言われることもありますが、それはそれでありだと思うんですよね。ただ度を越してしまうと自分が苦しくなるだけな気がします。
ネットで稀に見る若年層低資産FIREと称する人たちはこのカテゴリーに属すると考えています。
協調性や調和を重視しないと生活できない
一般的にはお金を稼がないと生活できません。そしてそのお金を稼ぐ手段としてもっとも多いのが雇用労働者になることですよね。一部の圧倒的スキルの持ち主ならばそうでもないですが普通は雇用労働者になり給料というお金を得ることになると思います。
そして仕事を長く続けようとすれば必然的に協調性や調和が必要になってきます。これらの言葉は一見とても温和で平和な雰囲気がありますが人格は十人十色ですから誰かが我慢していることになります。
我慢とまで行かなくても納得できる範囲で妥協点を見つけていくことになりますね。
社会の枠組みから外れれば正直に素直に生きれるだろうか
仕事をしないと生活できない、仕事をすると様々な妥協点を模索していかなければならないので正直に素直に生きられない、こういったことを考慮すると仕事をせずに生活できるのであれば自分に正直に素直に生きることができるような気がします。
でもそれはちょっと虚しいというかつまらない人生になってしまうような気がするんですよね。同じような感覚の人たちとつるむことで承認欲求は満たされるかもしれませんが成長というか新たな光が見えづらいと思うんですよ。
なぜなら仕事をせずに生活できる人の方が圧倒的に少なく、現実で出会う事なんてほとんどないからです。結局独りぼっちで生きているようなもんじゃないでしょうか。
これを言っちゃあおしまいだけど自分に正直に生きるには圧倒的資本があった方いいね
冒頭でも申しましたが私はFI(Financial Independence:経済的自立)してからは自分に正直に素直に生きることができるようになったと感じます。
現在の社会ではお金があればあるほど豊かに暮らせることは否めません。その為に誰もかれもがお金を求めてしまいます。多分に漏れず私もそうでしたから今そうしてる人たちのことはよくわかります。
厳しいですが現段階では正直に生きるにはお金があった方がいいということだと思います。
コメント
この現実を、金じゃないとか綺麗事を言ってごまかそうとするやつがいるんだよ。
若者もそれにそそのかされて、不十分な資産で自由に飛び込んで行ってしまう。
悪気は無いとは思うがいい加減現実見ろと思うよ
たやさん
おそらく一時ならいいですが10年20年単位で考えるとやっぱりお金はあった方が自由を得やすいと思いますね。