命は大事にしましょう。
子供の頃からよく聞いたフレーズです。自ら殺人を起こすことはやらない方がいいというのは自分でもよくわかっています。もちろん道徳的にというのもありますけど、生きていくうえでこれと言ったメリットがないのが私の中の最大の理由です。
東野圭吾「容疑者Xの献身」の中でこんなセリフがあります。
「石神という男は合理的なことであればどんなことでもやる男だ」
小説の中では愛する人のアリバイを作る為に自ら殺人を犯します。単にアリバイを作るのに合理的だからという理由だけで。私もここまで極端ではありませんがこれに似通った思考があるような気がしています。
さて「命は大切にしましょう」という言葉にはもちろん人間の命以外にも含まれていると子供の頃は考えていました。そう人間の食料となる動物なんかがそうです。また野菜なども声にはださないけど殺されているという揶揄も聞いたことがあります。
これらは生きていくうえでもうどうしようもないことだと認識しました。しかし人間の命はどうでしょうか?すべての人間の命は尊いといいます。「命は地球よりも重い」と言った言葉もありますよね。私ももちろん命は尊いという考えには賛成なのですが犯罪者の命は尊いでしょうか?
おそらく何の関係もない犯罪者なら命は尊いと声高く発言することができるでしょうが、仮に自分の愛する人、子供を殺した犯人の命を尊いと感じることができるのか?という疑問があります。
人間は置かれた環境によって同じ事柄でも全く違った感情を持つ生き物です。一概に命は尊いと声高々に訴えられても私はすごく違和感を感じてしまうのです。
もちろんこれらは一般論としては正しいでしょう。だからそういう取り方をすれば何の問題もありません。でも私はうまくそういう取り方ができないんですよね。だから生きづらいのかもしれません。
整合性があることがもっとも居心地がいい感情になるのですがそもそも世の中の起きていること自分の身の周りに起きていることはほとんどが整合性なんてないことばかりです。
自分の周りの出来事はコントロールできませんので自分の心をコントロールしてうまく生きていかなければならないと感じます。
あなたは愛する人、大切な人、子供を殺した犯人の命を尊いと感じることができるでしょうか?
コメント
その生き物にとってその命は最高に大事なもんだと思います。他の生き物の命は自分や自分に近い命に比べると順位は下がると考えています。
たんちんさん
私もそう思います。
つまり尊さの重み?濃さ?が薄くなっていくんですよね。
重犯罪者の命は尊いとは思えないですね。
自分と家族の命のどちらが大切かと言われれば、それも分からないです。
何故かあまり長生きしたいと思えないんですよね。
あけびさん
命は大切なのかなあ?
私も長生きしたいっていう強い欲求はありませんが健康に暮らせて寿命が自然にくればそれでいいと思います。
罪を憎んで人を憎まずの境地やね。仕事で絡む人の出来が悪いと振り回されて心底キレそうになるから、自然とそういう見方は身についたけどね。
でも親しい人に危害を加えた人間に同じ見方を出来るかと言うと、私はそんなに大人じゃなさそう。社会的肉体的いずれにせよ、どうやって殺したろかって考えると思う。
プライアさん
私も同じです。
社会的肉体的にプラスして精神的にも追い込みます。
こんにちは。
私は、重犯罪者の場合は特に、”やり直すチャンス”,”償いをするチャンス”をあたえないといけないと思います。
犯罪、イコール、社会に対してマイナスになることを行なった...
わけですから、そのマイナスぶんを返させないといけない。
強制労働ということになるかもわかりませんが、働いて、社会に対して負った負債を返させないと...
殺したらそれができなくなりますからダメなんじゃないでしょうか。
スイス鉄道のようにさん
マイナス分を返すという考えはできますよね。
返す返さないという基準もありますが、自分の家族を殺害されてもその犯罪者の命を尊いと思えるのか?ということが聞いてみたかったです。
たぶんこれにはそう思えないと答える人がほとんどだと思うのですが、自分に全く関係のない犯罪者なら少しはそういう気持ちになるかもしれないですよね。
書いていて、ほんと人間って自分勝手な生き物だと思います。