映画「今夜、世界からこの恋が消えても」は道枝駿佑、福本莉子W主演のはかなくも切ない映画でした。そしてその純粋さにも心惹かれました。内容は割愛しますが記憶障害と大切な人の死がテーマになっています。
記憶の蓄積がない人生を生きていけるだろうか?
前向性健忘症、夜に眠るとその日の出来事をすべて忘れてしまう。そして毎日が本当の新しい朝になる。言葉で言い表すと平坦ですが記憶の蓄積がないままに毎日を過ごすことはとても困難だと思います。それも自分だけが記憶がないので周りの人間とコミュニケーションをとることも難しいでしょう。
ちょっと違いますが認知症は死の恐怖をやわらげるためにあると言ったりもするようです。
こういった記憶障害が自分に起こったとするならどうするか考えてみたのですが、周りの人に多大な迷惑をかけることは目に見えているのでなるべく家で過ごす、一人で過ごすといった生活になるのかなと想像しました。
記憶には良いことも悪いこともあるけどやっぱり蓄積したものが自分を形成しているのだと思います。
もしあなたの大切な人があなたのことを忘れてしまったら
自分が記憶障害で大切な人のことを忘れてしまったら、しょうがないというか記憶がないのだから悲しむことはないかもしれない。けれど大切な人が自分のことを忘れてしまったらどうでしょう?
病気なのだからしょうがないという気持ちもないわけではないけど、やっぱり悲しいよね。私だったら夜に泣いてしまうかもしれない。それぐらい記憶に残らないということはショックなことだと思う。
記憶の改ざん
今回の映画では眠るとその日の出来事をすべて忘れてしまうので日記をつけて記憶を留めています。しかしその日記はいかようにも改ざんできるわけです。日記に書かれていないことはなかったも同然だからですね。劇中ではある記憶が改ざんされてしまいますが、それを行った者はとても苦悩して最後にはすまなかったと謝る場面がありました。
もちろん改ざんした方がいいと良かれと思ってしたことでしたが真実を知ることの方がつらくても良いと考えなおしました。
自己啓発本などでは脳をだましてポジティブに生きていこうというものがありますが、記憶障害のある脳は簡単にだますことができてしまいます。こういったことも自分が当事者なら悩んでしまうでしょうね。
記憶を維持するために記録する、しかし記録したことすら忘れてしまう。ある意味同じ毎日がループして肉体だけが衰えていくということもあるでしょう。
希望の光
劇中では親友と恋人に支えられて毎日をつつがなく生活していきます。家族はもちろんのことそういった信頼できる人間がそばにいることで一筋の光を見ることができるのだと感じました。
しかしその光でさえ消えてしまってもわからないんですよね。
私は特に何も望まないけど、もしひとつだけ願いが叶うとしたら
この映画を見て感じたのは「大切な人を想う気持ち」でした。記憶が毎日消去されていくのだからそういった感情も強く残らないはずです。周りの人間ももちろんそれぞれに大切な人のことを考えながら生きています。
そしてどうすれば幸せになっていけるのかを模索し切望していくのが感じ取れました。
私はもう何も望むことはありません。別にこれは人生を諦めて投げやりになっているのではなく毎日が充実しているので十分だと感じているからです。
ただもしひとつだけ願いが叶うのであれば、妻には私よりも一分一秒でも長く生きてもらいたいです。
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