ほとんど判断能力がない幼少期を除けば何をするにも自分の判断で物事を選択しています。幼少期にも本能的なもので判断して選択しているのかもしれませんね。
一般的な人生の流れは保育園・幼稚園・小学校・中学校・高校・大学・専門学校・社会人というステップでしょうか。何かが抜けている場合もあるでしょうがこれらに一つも属しない人はいないだろうと思います。
自分の判断で選択することを最初に迫られる学校
義務教育と呼ばれる小学校・中学校でも学校生活の中では様々な選択を迫られるでしょう。特に友人関係などは閉鎖的な学校という場所では人生に大きなインパクトを与えるのではないでしょうか。
小学校・中学校・高校という場所は会社の前段階にあたるのかもしれません。会社と確実に違うのは周りにいる人間がほとんど年齢が近いことですよね。年齢が近いと共感できる出来事も多いので大いに盛り上がることもあるでしょうが、嫉妬を発端に簡単にいじめにつながる可能性もあります。
いじめ問題がなくならないのは大人の社会でも同様ですよね。学校も会社もひとつの組織の中に大勢の人間がいますがその中には環境に適応できない人間もいます。適応できなくても行かなくてはならないと判断してしまうと取り返しのつかない事態になってしまうかもしれません。
その後の専門学校や大学、社会人になっても物事を判断して選択するということはなくなりません。学校での判断、選択も大切ですが社会人になってからの方が重要度は確実に上がるでしょう。
ベストではなくベターな選択を続けよう
自分が何かをしたいときや数年後、数十年後にどうなっていたいかということを考えたときに現在に何をしておかないといけないかということを考えると思います。その考えがベストなことであれば迷わずに選択すればいいでしょう。
しかし現在の選択がベストかどうかなんて未来になってみないとわからないと思います。私自身もアラフィフになり過去を振り返ることがありますがベストな選択ができたといえることは一つもありません。
ベストな選択はできなくても最悪のバッドな選択は避けられてきたように感じます。こう考えるとその時々で自分で一生懸命に判断した選択はベターだったのではないかと思うのです。
先日記事にした橘玲「人生は攻略できる」にあるような3本柱はある程度攻略できたかなと感じています。人それぞれによって心地よい環境は違うと思いますがベターな選択を続けていればベターな環境を構築できると考えています。
ベストな選択よりもベターな選択を推奨するのは何故かというと一つは先ほども言ったように現時点ではベストかどうか判断できないというものです。もう一つはベストな選択を求めるがゆえにがんじがらめになってしまい動きづらくなるのではないかという懸念があるからです。
大事なことなのでもう一度言っておきます。
ベターな選択を続けていればベターな環境を構築できる。
コメント
自分はあきらめ続けた感が強いのだが、なぜか結果がベストに近い状態に思えるのが全くもって不思議なんだが
甘いレモンなのかもしれないが
deefeさん
deefeさんにとって「あきらめる」ことがベストな選択だったんではないでしょうか。
えっ、そんなもんなの?おれはベストな選択をし続けてベストな人生を歩んで来たと普通に信じとんねんけど・・・証明しようがないんやから、信じた者勝ちってな感覚でw
「ベストと思われる選択肢」を選んでも結果が良いとは限らんが、それを選び続けるか否かでは結果に大差がつく思う。だからベストを模索し続けることは妥協したくないなあ・・・。
プライアさん
ベストを模索し続けることは私も妥協したくないけど、実際に行動起こすのはベターな状態でしないと前に進まない気がするんですよね。
極端だけどベストな選択肢として週1勤務で年収3000万で雇用されたいとしても実際には雇用されないことが多いです。
結果的にベストではないベターな選択をしている人がほとんどだと思う。
セミリタイアブログを見ていると働きたくない人が働いているのも働かなくていい状態になるまでベターな選択をしていると思う。
言いたいのは「ベストな選択を模索し続ける」ことは良いことだけど「ベターな選択肢を選ぶ」ことをしないと動けないということです。
どんな選択をしても将来にならないとベストなことだったのか、ベターなことだったのかはわからないけどね。