セミリタイアを意識した「時間の有限性」

遠い親族の葬式に参列してきました。年齢は88歳だったので天寿を全うしたと言ってもいいと思います。しばらく病院で治療していましたが最後の方は意識がはっきりしていない状態が続きました。

医師からあと数日と言われてその通りに亡くなりました。ほんの数日になればほぼほぼ予測可能なんだと思いました。自発呼吸できない状態だったのですが苦しまずに最後を迎えたのかなと思います。

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葬式って故人のためではなく生きている人のためにある

これは以前から感じていたのですがすでに死んでしまった人は葬式が行われようが行われまいがどちらでもいいでしょう。どちらでもいいというか、もうこの世にはいないんだからわかりませんよね。

そして生きている人間が思い出話を語り合います。これって生きている人間がこれから生きていくためにひとつのけじめとして気持ちの整理をするために行われるんだと感じます。

葬式のあとも初七日法要や四十九日、〇回忌とほぼ永遠にイベントが続きます。生きている人間がやろうと思えばいくらでも続いていくことになります。(宗教によっては違うのかもしれませんが)

葬式の必要性をあまり感じない

私は自分の葬式なんてまったくしないでいいと考えています。私にはどうすることもできないので知りませんけど、無駄以外の何物でもないと思います。

気持ちの整理をしたければ葬式というものにお金をかけずとも、親戚、知人があつまって話せばいいだけです。葬式って規模にもよりますが結構なお金が動きます。お金がありあまっているのならいいですが、一般的にはそうではないだろうからできるだけ支出を抑えた方が生きている人間にもいいような気がします。

それにお金がない人は葬式なんてしてませんよね、いや、できませんよね。ということは別に葬式というのはやってもやらなくても問題ないということになるでしょう。

故人を思って生きている人間が葬式をするというのは一種のエゴじゃないでしょうか?

もちろん、やりたい人はどんどんやってもらえればいいのですが「葬式」という形に拘る必要性は皆無だと考えています。

人間はいつか必ず死ぬ

私がセミリタイアした理由のひとつに「時間の有限性」があります。私はまだ46歳ですがはっきりいっていつ死ぬのかなんてまったくわかりません。ひょっとしたら明日かもしれませんし100歳まで生きてしまうかもしれません。

ただ当たり前ですが人間は誰しもが確実に死に向かっているということです。

このことをちょっと意識するだけで今何をすべきなのかが明確になるのではないでしょか?

生きていくためにはお金は必要です、だからみんな仕事をして働いています。よくある話ですがあと3か月後に死ぬのなら今の仕事は続けますか?という問いに、ほとんどの人は「いいえ」と答えるでしょう。

それでもなお仕事を辞められない日本の社会というのはかなり窮屈だと感じます。一度レールを降りてしまえばもとには戻れないのが現状です。もっと多様な生き方を認める社会であれば多くの人は救われるのかもしれないですね。

人間は死んでしまえばおしまいです。

私はセミリタイアという現状ではちょっとイレギュラーな生き方を選びましたが、命ある限り楽しんでいこうと思います。

コメント

  1. プライア より:

    まだ死のことは考えたくないけど、葬式は確かに意味ないなあ。おれの葬式はするなって言いたいけど、それで周囲が満足するってんなら、どんどんやっていいよって感じかな。

    社会が悪いとか言っても何にも始まらんから「社会は悪いがおれは最高」で通算プラスならそれでいいんじゃないの。おれは社会に何か期待する方が間違いやと思ってるよ。

    • プライアさん
      私も周囲が満足するならどうぞって感じだけど、その時に私はいないのでどうもこうもできないですね。

      私も社会に期待する方が間違いと思っています。
      そうはいっても付き合いでの冠婚葬祭があるのも事実で、そこは我慢ですかね。

  2. 八百祢 より:

    私がセミリタイアを本格的に考え出したのも人の死を意識したときですね。
    好きな声優さんが若くして亡くなった時、会社の人が定年再雇用されてすぐに亡くなった時。
    楽しんで生きないと損だよなーって思ったです。
    人は今の状態が永遠に続くと思いがちですが、そんなことはないですしね。

  3. 小者 より:

    自分は6年前に母を亡くして、死をリアルに意識しました。
    会社の人とか親戚レベルでは特に感じなくても、実親は本当に堪えます…
    母は70代でしたが、伯父あたりは50代で亡くなった方もいて
    家系的にも長生きではなく、自分自身も折り返しを過ぎた可能性が高いと感じました。

    それなのに、40過ぎても長時間拘束され労働に従事するのは、時間の浪費以外の何物でもない。
    ただ、この感覚は理解されるのは難しいですね。

    • 小者さん
      私も父親を58歳で亡くしています。身内を亡くした時は本当に答えますね。
      58歳まで私はあと12年しかありません。その他昔から知っている芸能人なども死んでいくのを見ると時間の有限性をひしひしと感じました。

      人生一度きりですからやるだけやってみようという気持ちになりました。
      一般的に自分が死ぬことなんてほとんど意識することはないでしょうから、何で仕事辞めるの?の疑問の方が大きいでしょうね。

  4. あけび より:

    時間は有限なのにやりたいことを我慢してお金のためだけに長時間働くのはどうかなと思います。
    でも最近、どうせ働くのだったらお金以外の目的を自分なりに持っておいた方がいいなと感じます。
    やっぱり職場に行くと色んな人と接することができるのが有意義だと思います。

    • あけびさん
      お金を得るためだけに働くのは虚しいですがお金がないと生活できないこともまた事実なので、将来的に家族がどうなるかを見据えて計画していきたいと思います。
      もはや働くのはお金のためではなく、健康や刺激(ブログネタ)を得るためのものだと考えています^^

  5. どうしても葬式等をしてほしくないなら遺言書にそう書いて公正証書とかにしておくといいですよ。
    寺とか坊主にカネが渡るのはイヤなので個人的にはそうしようかなと思っていますw
    なんなら、サイゼリヤで俺のことを心置きなく語れ、とかね。

    時間の有限性はありますね、うちは父親が60代前半でした。
    どうしても辞められない、辞めたいのにサラリーマンの給与が美味しいからといって辞められない人はここが分かってないんですよね、自分が絶対平均寿命程度まで生きると思ってる。

    • 招き猫の右手さん
      すでに自分の死んだがあとのことなんでどうでもいいですが、妻が困らない程度にしてくれたらいいなと思っています。
      人間は生まれたときからすでに死に向かっているわけですから、それがいつ訪れるかわからないはずなのに何故勘違いしちゃう人が多いんでしょうね。
      たとえ平均寿命まで生きれても若い時にしかできないこともあるので、やっぱりセミリタイアという生き方は有意義だと感じます。